現在発売中!
SPA!8月12日・19日合併号掲載
神功皇后論
『神に従え! 鴨別』の
感想をご紹介します!
【京都のSさん】
ここでヤマトタケルの活躍が見られるとは嬉しい誤算でした。女装姿で首領を強襲しての熊襲征伐、景行帝の無茶振り、倭姫の慰め、草薙剣の由来、弟橘姫の入水、乙事主(←違うw)の怒りに触れて終焉、白鳥になって帰還までのダイジェストでしたが、やはり日本人の琴線に触れる悲劇の物語でした。
その解釈を「ヤマトタケルは神を軽んじたから死んだ」とし、ナカツヒコ王(ヤマトタケルの息子にしてタラシヒメの夫)の死(タラシヒメが降ろした神の意志に背いたから死んだ)と重ねて吉備鴨別を説得し、応じて帰順した鴨別がタラシヒメ(後の神功天皇)に会うと神威(バックには天照大神の荒御魂)に気圧されるという流れが実に自然でした。
そして首領を殺しただけのヤマトタケルの征伐では不完全だから改めて征伐するという展開にも納得です。今後は鴨別を仲間に加えた第二次熊襲征伐が一層楽しみです。
【masaさん】
ヤマトタケルの物語がここで見られるとは感激です。機転を利かせて熊襲を討伐、東征を終えての帰路で后を亡くす、慢心により神の怒りを買い命を落とす。何とドラマチックなんでしょう。それにしてもその最期と仲哀天皇の最期と重ねるとか凄い解釈ですね。
わずか8ページとは思えない充実感です。
【ゴロンさん】
吉備鴨別も強かった。その心を動かしたのは、ヤマトタケルの話だったとは。后のオトタチバナヒメの入水した話も描かれていて、千葉県人としてはちょっと嬉しかったです。ちなみに少し前に訪ねた富津市に吾妻神社というオトタチバナヒメを祀った神社があります。吾妻はヤマトタケルの言葉だったのですね。オトタチバナヒメが身に着けていた布が流れ着いた場所が、富津岬の布引海岸といわれており、布流津(富津市)の由来となっているそうです。
それまで神に守られていたようなヤマトタケルですら、神を軽んじ、怒りに触れるとあえなく没してしまうという。青年タケウチノスクネも十分神がかりっぽいですが、最後のコマのタラシヒメの神々しさは別格で、鴨別も参った感じですね。言っていることは、凄く冷静で論理的な感じですが。次は熊襲討伐でしょうか。楽しみにしています。
ここでヤマトタケルの物語が出てきたことに強く反応してくれた感想が出てきたのは、とても嬉しく思います!
でもその一方で、ゴー宣読者や古代史マニア以外に、どの程度この話が刺さるのかという不安も感じてしまいます。
そもそも今の一般的日本人は、「ヤマトタケル」って知ってるんでしょうか?
私の子供時代だったと思いますが、その頃すでにテレビCMで、今の若者は何も知らないということを嘆く中で、「日本武尊」を「にっぽんぶそん」と読んでいた、というのがあった覚えがあります。
その頃よりもさらに劣化が進んでいるのは間違いない現代、この『神功皇后論』の物語の力で、その劣化に歯止めをかけることができるのか?
ものすごく大きな挑戦が進んでいます!!




















